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沖田総司の親戚は奈良・櫛羅藩士 史料発見、謎の解明期待

 
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登録日: 2008.01.20
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記事日時: Wed Sep 07, 2016 4:54 pm    記事の件名: 沖田総司の親戚は奈良・櫛羅藩士 史料発見、謎の解明期待 引用付きで返信

 幕末の京都で活動した新選組で、一番隊長を務めた沖田総司の義理の兄弟とされる「島田(嶋田)勝次郎」が櫛羅(くじら)藩(現在の奈良県御所市)の藩士だったことを証明する史料が6日までに、奈良県立図書情報館で見つかった。発見した歴史研究家で作家の浦出卓郎さん(29)=大阪市=は「沖田と櫛羅藩のつながりが証明され、謎の多い沖田の身辺を解明する糸口となる」と期待する。

 沖田の家族構成は史料が少なく不明な点が多い。その中で島田勝次郎は、沖田の姉といわれるミツの婿養子・沖田林太郎の弟とされてきた。島田は加納藩(岐阜県)に仕えた説もあったが、浦出さんが見つけた「明治六年 元櫛羅県士族家作(禄)人名取調帳」(奈良県庁文書)に島田の署名と実印があり、東京で暮らしていた経過が分かった。

 浦出さんによると、以前から沖田と櫛羅藩とのつながりは新選組の研究者から指摘され、京都の寺院に葬られた「沖田氏縁者」を櫛羅藩士の酒井意誠(むねのぶ)が弔った記録が残る。今回発見した史料にも島田の名と一緒に上司である酒井の名前もあった。また、浦出さんは櫛羅藩の「士族卒禄高取調帳」(天理大付属図書館所蔵)にも島田の名前を発見。沖田と櫛羅藩とのつながりが確実になった。

 ただ、武蔵国出身の島田が櫛羅藩に仕えた経緯は分からない。東京都公文書館の史料によると、1875年(明治8)年、島田は東京では角筈村(現在の新宿区)に住んでいた。家は沖田が病気で亡くなった千駄ケ谷や櫛羅藩の下屋敷ともそれほど離れていない。

 浦出さんは「おそらく島田は櫛羅藩の江戸詰の家臣だったのではないか。島田は沖田の実の兄弟だった可能性もあり、親戚として江戸で島田が病気の沖田を近くに引き取ったとも考えられる。確実になった櫛羅藩とのつながりは謎だらけの沖田を解き明かす手がかりになりうる」とみる。
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