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登録日: 2008.01.20 記事: 2543
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日時: Wed Sep 25, 2019 4:39 pm 記事の件名: 明智光秀は近江出身だった? 文献に出生記述・伝承も多数 大河 |
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通説では美濃国(現在の岐阜県)で生まれたとされる戦国大名の明智光秀が、実は近江国多賀(現在の多賀町)の出身だったとする「新説」を、県教育委員会文化財保護課の井上優係長が提唱している。江戸時代の文献に光秀が多賀町で生まれたとする記述が見つかったほか、現地調査で同町に光秀にまつわる伝承などが多く残っていることも判明した。光秀の生涯を描く来年のNHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」の放送を前に、歴史ファンらの注目を集めそうだ。
天正10(1582)年の本能寺の変で、主君だった織田信長を討った「裏切り者」としてのイメージが定着する光秀だが、前半生は謎に包まれている。出身地についても岐阜県恵那市や可児(かに)市など諸説あるが、出自を直接裏付ける史料は見つかっていないという。
井上係長は17世紀後半の江戸時代前期に成立した近江国の歴史を記した「淡海(おうみ)温故録」に着目。同書の中に「左目(現在の多賀町佐目(さめ))には美濃が本国だが、土岐(とき)氏に背いて浪人し、近江の六角氏を頼った明智氏が移り住み、移住して2〜3代後に明智十兵衛光秀が生まれた」という趣旨の記述があるのを見つけた。 |
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