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幕末・京都の「池田屋事件」で最新見解 研究者が指摘する虚構と

 
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登録日: 2008.01.20
記事: 2492

記事日時: Sun Nov 13, 2022 5:38 pm    記事の件名: 幕末・京都の「池田屋事件」で最新見解 研究者が指摘する虚構と 引用付きで返信

 幕末に新選組が名を上げた「池田屋事件」の虚実を解説する講演会が、京都市左京区の京都教育文化センターで開かれた。襲撃先に誰が何人いたのか。坂本龍馬らの寓居(ぐうきょ)も捜索されたのはなぜか。2011年に関連書を出した京都女子大の中村武生非常勤講師が、以降の研究を踏まえた最新見解を語った。

 幕末政治史に詳しい中村さんは、文献を基にした「池田屋事件の研究」を著している。事件については「元治元(1864)年6月5日の夜、池田屋を襲撃した2時間だけにとどまらない」と強調。幕末の京都政局から締め出された長州毛利家を助けようと、親長州浪士らが起こそうとしたテロを阻止する大捕物として、同日から約1週間続いたとする。

 新選組局長・近藤勇らによる池田屋襲撃は虚構が交じる。ドラマでは屋内に20〜30人もいて、斬られた土佐脱藩浪士・北添佶摩(きたぞえきつま)の「階段落ち」が描かれる。だが階段落ちは後の創作といい、「同時代史料によると、屋内には長州京都藩邸詰めの桂小五郎、北添ら10人超がいて、うち5人が中で殺された」(中村さん)とみる。

 新選組が都でテロ対策を担い、長州を支援した古高俊太郎を捕まえ、事件の端緒を開いたのは確かという。ただ、彼らのつかんだ浪士の潜伏先は20カ所ほどもあった。追捕を主導したのは一橋家、会津藩、桑名藩の「一会桑」という京都政局の中心勢力で、「その一部として動いたのが新選組。まだ一浪士集団に過ぎなかった」とする。

 襲撃後も続いた追捕では、これを示す日記の原本が昨年、京都市内で見つかった。一橋(徳川)慶喜家臣・川村恵十郎の日記によると、襲撃現場に「監察使」として出向いた後、土佐浪士が滞在した「大佛下川原」(現在の東山区)に転じ、坂本龍馬らの住まいに踏み込んだ。龍馬はおらず、北添の「妾与留守居(めかけとるすい)」がいたと記す。中村さんによると、2人のどちらかが龍馬の妻・お龍の母で、この時に逮捕されている。

 中村さんは「この家を借りた北添こそ、土佐浪士の首魁(しゅかい)として認識されていた半面、当時の龍馬は無名のようにも受け止められる。日記は池田屋襲撃を『動揺』とし、先行した新選組が立ち入りを許さなかったことも記す。彼らの戦功をとられてたまるかという姿勢が見え、ほほえましくも思う」と述べた。

 講演は「新選組展2022」(京都文化博物館など主催)に合わせ、10月29日に開かれた。
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