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登録日: 2008.01.20 記事: 2543
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日時: Tue Nov 01, 2022 4:49 pm 記事の件名: 「團十郎」はなぜ歌舞伎の象徴になったのか 「荒事」だけではな |
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市川團十郎が歌舞伎を象徴する存在となったのは、悪人を懲らしめる際に見せる「荒事」を伝承して観客を引き付けたこと、そしてその魅力にあやかって食べ物の名前に取り入れられるなど、舞台を超えて人気が庶民に浸透したことが大きかった。
初代が1685年に演じた坂田金平(さかたのきんぴら)役が荒事の創始とされる。家の芸「歌舞伎十八番」の半数を初演し礎を築いたのが二代目だ。七代目が歌舞伎十八番を制定。明治期に活躍した九代目は「劇聖」と呼ばれ、天覧歌舞伎を実現した。十一代目は59年ぶりの團十郎に。十二代目の襲名披露は歌舞伎座で3カ月続いた。
「暫(しばらく)」の主人公がまとう柿色の巨大な装束、「勧進帳」での弁慶の「飛び六方」、邪気を払うとされる「にらみ」。練り上げた芸やこしらえは、現代の観客も魅了する。
柿色は、着物や小間物に使われて江戸庶民に浸透。團十郎はもなかの名前として残り、埼玉県寄居町では柿色の朝顔「團十郎」が栽培され、朝顔市では毎夏完売という。
昨年の東京五輪開会式で、團十郎(当時は海老蔵)さんは「暫」の一部を演じた。新型コロナウイルス禍の全世界へ、悪疫退散を願って荒事を披露。團十郎家の本領発揮といえる場面だった。 |
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