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戦国武将、浅井長政の書状発見 滋賀・長浜 「志賀の陣」湖西へ

 
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登録日: 2008.01.20
記事: 2492

記事日時: Thu Aug 11, 2022 4:47 pm    記事の件名: 戦国武将、浅井長政の書状発見 滋賀・長浜 「志賀の陣」湖西へ 引用付きで返信

 滋賀県長浜市公園町の長浜城歴史博物館は8日、戦国武将の浅井長政(1545〜73年)が覚伝寺(同市西浅井町黒山)の前身となる寺院の大浦黒山寺に宛てた書状が新たに見つかったと発表した。書状の日付の元亀元(1570)年11月27日から長政が織田信長(1534〜82年)と戦った「志賀の陣」の最中で、湖北の小谷城から湖西への陸路を確保するために出したと考えられる。同博物館は「文書の発見自体が重要。志賀の陣を考える上で貴重な資料」という。

 書状は縦12・9センチ、横41・1センチ。大浦黒山寺に対して課税を免除し、寺領や本堂への侵害がないよう保障した内容で、長政の花押が記されている。書状の日付は、姉川合戦の後、長政・朝倉義景軍が信長軍と戦った「志賀の陣」にあたり、長政・朝倉軍は比叡山周辺に陣を構えていた。

 書状について、同博物館の坂口泰章学芸員は「高島郡に隣接した大浦黒山寺を味方に引き込みたい意図がうかがえる。信長との戦いに及んで西浅井町域も確実に領土として取り込む必要から書状は出された」とみている。

 このほか、浅井氏の家臣の松本貞行と浅井亮親が仁徳寺に出した書状も見つかった。同博物館によると、仁徳寺は中世から近世にかけて木之本地区に存在した市指定文化財の浄信寺の末寺とされ、現在も寺があったとされる場所に境界を示す石碑が建てられている。今回の文書の発見で中世にさかのぼって寺の実在を確認することができた。

 いずれの書状も同博物館で開催している浅井長政450回忌特別展「浅井長政と菩提寺・養源院−浅井三代の興亡と江戸時代へ続く浅井氏の系譜」にあたって浅井関連の文書を調査したときに見つかった。現在公開されている。特別展は9月5日まで。会期中無休。有料。
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