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池田屋事件の項目には「動揺」の字に丸印 京都で発見の川村恵十

 
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登録日: 2008.01.20
記事: 2492

記事日時: Sun Nov 28, 2021 4:29 pm    記事の件名: 池田屋事件の項目には「動揺」の字に丸印 京都で発見の川村恵十 引用付きで返信

 徳川(一橋)慶喜に仕え、渋沢栄一を慶喜につなげた存在として知られる幕末の志士、川村恵十郎の書き残した日記が、京都市西京区に暮らす子孫の家で見つかっていたことが、27日までに分かった。恵十郎は幕末期に全国の有力大名や朝廷側とも面会を重ねるなど活躍、今年のNHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」にも登場した人物だが、史料が少なく、これまでほとんど研究されてこなかった。日記には元治元(1864)年6月5月夜に起きた池田屋事件の記述もあり、激動の時代に京の街で起きたことが生き生きと記されている。 

 子孫の家に保管されていた川村恵十郎の日記には、新選組を有名にした「池田屋事件」が、三条小橋近くの池田屋で起きた襲撃事件にとどまらず、数日間にわたって京の街を巻き込む騒動であったことを、臨場感あふれる描写で伝えている。坂本龍馬や北添佶摩(きたぞえきつま)ら土佐藩出身者のぐう居の捜索に言及した部分では龍馬の妻・お龍の母と思われる人物も登場するなど、龍馬ファンの想像をかきたてる記述も見られる。

 1864年6月5日夜に起きた池田屋事件の記述は「動揺」の文字を丸で囲むところから始まっており、一橋家の家臣だった恵十郎の動きが詳細に記されている。

 この日、慶喜の屋敷に急きょ呼び出された恵十郎は「監察使」として池田屋事件の現場となった「三条木屋町辺」へ急行。だが、池田屋の襲撃は会津藩、桑名藩の家臣を中心に既に始まっており、日記には「甚残念ニ思居候(はなはだざんねんにおもいそうろう)」と、現場で自由に動けなかったことを残念がる感想が書かれている。

 一橋家の家臣の立場から池田屋事件について書かれた史料はこれまでにない。事件に詳しい京都女子大の中村武生非常勤講師(歴史地理学)は「池田屋事件で、慶喜は自らの兵は出さずに形ばかりの監察団を送り出したことが知られているが、家臣の具体的な動きが分かったのは初めて」と評価する。

 長州藩による天皇の誘拐計画を示す記述があることも興味深いといい、「(当時の京都政局の中心だった)一橋家や会津藩、桑名藩(一会桑)の信用できる書簡に天皇の誘拐計画が出てきたことはない。デマをつかまされた可能性もあるが、重く受け止めるべき記述では」と指摘する。

 日記は、池田屋襲撃後、土佐出身の浪士が多く住む「大佛下川原」(現在の東山区塩小路通大和大路東入ル周辺)を探索したことも伝える。中村さんは「約20カ所に及ぶ親長州浪士の潜伏先の一つを捜索した記述。一会桑による捜索が広範囲に及んでいたことが伝わってくる」と話す。

 浪士の一人、本山七郎(北添佶摩)のぐう居を捜索した際「妾与留(めかけと)守居而已ニ付(るすいのみにつき)(妾と留守居のみがいた)」との記述もある。既出の史料から、ぐう居には龍馬の妻・お龍の母親らがいたとされ、中村さんは「他の史料と整合しない点もあるが、妾と留守居のどちらかがお龍の母ではないか、と思うと興味深い」と語る。
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