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光秀の娘、ガラシャ幽閉の地はどこ? 「みどの」か「みとの」か

 
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登録日: 2008.01.20
記事: 2492

記事日時: Thu Aug 27, 2020 4:10 pm    記事の件名: 光秀の娘、ガラシャ幽閉の地はどこ? 「みどの」か「みとの」か 引用付きで返信

 戦国武将・明智光秀の娘、細川ガラシャ(玉子)が本能寺の変後に丹後の味土野(みどの)(現京丹後市弥栄町)に幽閉されたとの説は30〜40年前に広まり、それ以前は「丹波の三戸野(みとの)(同京丹波町水戸周辺)」が定説だった―とする研究者の論文が話題を呼んでいる。味土野と三戸野、読みはほとんど同じだ。史実を求めてそれぞれの地を訪ねた。

 論文を書いたのは、府立丹後郷土資料館(宮津市)学芸員の森島康雄さん(59)。森島さんによると、江戸時代の地誌「丹後州宮津府志」などは、玉子が「丹後三戸野(現在の味土野)」に送られたと記すが、丹後地域以外ではあまり知られていなかった。

 一方で、江戸時代に編集された光秀の一代記「明智軍記」と、細川家公式の歴史書「綿考輯録(めんこうしゅうろく)」は、それぞれ玉子が「丹波ノ国三戸野」、「丹波之内山中三戸野」に送られたと記し、長らく定説とされていたという。

 一般に知られる「味土野幽閉説」のきっかけは、ドイツ人宣教師ヘルマン・ホイヴェルスが1935年に書いた舞踊劇「細川ガラシア夫人」だ。ホイヴェルスは、ガラシャを題材にする作品を構想していた作家森田草平の随筆などに基づき、玉子の幽閉先について「日本の歴史には丹波の三戸野とありますが、實(じつ)は京都府與謝(よさ)郡野間村味土野といふ所」と主張。味土野にも足を運び、地形や京都からの距離が隠棲(いんせい)地に適していることなどを理由に自説を唱えた。

 この説を受け、翌年に与謝郡と竹野郡の婦人会が、味土野に「細川忠興夫人隠棲地」の石碑を建立したことなどによって定説化していく。

 両方の地を訪ねた。山間部の味土野には石碑のほか、井戸が残り、「細川ガラシャゆかりの地」と書かれたのぼりも立ち並ぶ。

 伝承もあった。味土野出身の木下肇さん(94)=弥栄町=は、「(地元にある)大岩の裏で玉夫人がお産をした」と話した母の言葉を覚えている。 

 昭和初期に玉子が住んでいたことに関心を持つ住民は少なく、「一部の家にだけ、伝承が残っていたのかもしれない」と明かす。

 一方、京丹波町水戸地区。光秀の位牌(いはい)を祭る近くの玉雲寺・長澤知雄住職(75)は「玉子の話は聞いたことがなかった」と驚く。古くから京への街道が敷かれ、旅籠(はたご)が並ぶなど人通りも盛んだったと伝わる。風景もホイヴェルスの「幽閉」のイメージと異なる。

 戦後、経済成長に伴う地域の活性化がうたわれ、味土野説が広まり丹波説は消えていく。だが、その経緯は定かでない。森島さんは「歴史で定説とされていることも不確かなことは多い。定説を信じるだけでなく、本当はどうだろう、と考えてみることが歴史の醍醐味(だいごみ)だ」としている。
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