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管理人
日時: Sun Jun 04, 2017 8:02 pm
記事の件名: 龍馬をかくまったのはどこ? 薩摩藩伏見屋敷の絵図発見
幕末の寺田屋事件(1866年)で坂本龍馬をかくまった時期の薩摩藩伏見屋敷を示す可能性が高い、江戸時代後期の絵図が初めて見つかり、京都市伏見区の城南宮が3日発表した。研究者らは「幕末史の重要な舞台を知る上で貴重な資料」と注目する。
絵図は「伏見御屋鋪(おやしき)惣絵図」(縦99センチ、横1・2メートル)。城南宮の鳥羽重宏宮司が京都市内の古書店で入手した。「天明6(1786)年12月16日」「大工方 儀兵衛所持」などと記され、建物配置や間取りが詳しく描かれる。中央に藩主らが泊まる御殿、東側に留守居役の建物や長屋門が配され、改築か新築時の工事用図面とみられる。鳥羽伏見の戦い(1868年)で焼失するまで建て替えなどの記録はなく、龍馬時代の屋敷の可能性が高い。
交通の要衝だった伏見には江戸時代、西国の諸藩が参勤交代の宿舎となる屋敷を設けていた。寺田屋事件では、薩長同盟を取り持った龍馬を伏見奉行所の役人が襲撃。負傷した龍馬は舟でこの屋敷に運び込まれた。龍馬の処遇をめぐって薩摩藩は奉行所と対立し、倒幕の機運が高まったとされる。
絵図に川の船着き場や橋も描かれており、屋敷跡に記念碑を立てたNPO法人京都歴史地理同考会の中村武生理事長は「川や屋敷の配置は他の古地図と矛盾しない」と分析する。絵図にはます目が刻まれており、敷地が約4900平方メートルと推計できるという。幕末史に詳しい京都国立博物館(東山区)の宮川禎一上席研究員は、「想像よりも敷地が広い印象を受けた。未解明な各藩の伏見屋敷研究の進展につながれば」と期待する。
絵図は4日〜7月2日、城南宮で公開。7月25日〜9月3日、同博物館の特集陳列にも出展される。ともに有料。
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