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管理人
日時: Sat Feb 21, 2015 7:07 am
記事の件名: 壬生浪士幹部?の借用証発見 同一人物説の新家粂太郎連署
京都府立総合資料館(京都市左京区)で、新選組の前身「壬生浪士」の幹部だった新見錦の本名とされる「新家粂太郎(にいのみくめたろう)」の名が記された借用証が18日までに見つかった。「新見」と「新家」を同一人物とする説を補強する新資料で、京都で切腹したとされる従来の通説にも影響を与えそうだ。
見つかったのは、文久3(1863)年5月の三条通河原町東入ルの旅籠(はたご)「万屋」での借用証。水戸浪士吉成勇太郎ら3人が金8両を借りた証明で、連署の中に新家粂太郎の名があった。幕末史を研究している浦出卓郎さん(27)=大阪市=が、同館所蔵の万屋文書を調べるなかで発見した。
研究者の間には以前から、新見と新家を同一人物とする説があった。新家は水戸藩士で玉造の文武館党に加わり、尊皇攘夷の志を持って積極的に活動した。文久3年6月、攘夷実行を促す勅使・正親町公菫(おおぎまちきんただ)の親兵となって長州に下向。現在の山口県防府市三田尻で、酒の暴飲を理由に9月15日に自決させられたと記録される。
新家の記録がない空白期間には、新見の名による活動記録がある(年表参照、月日には異説もある)。新見の名は5月以降、壬生浪士の名簿から消えるが、今回見つかった借用証は、壬生浪士を抜けて水戸の同志と活動していた時期とも考えられる。
浦出さんは、2人がともに水戸出身で吉成や芹沢鴨と交流がある▽新見、新家という姓はどちらも「にいのみ」と読める▽ともに神道無念流門下で享年28歳−という共通点に注目する。「粗暴だった新見は文久3年5月ごろから同じ水戸浪士の吉成に引き取られ、その後、長州に行ったと考える。三田尻での切腹が年月を経て伝わるうち、京都で死んだという表現になったのだろう。『新見錦』の名は、新家が壬生浪士に所属する前後の文久3年2〜4月の短期間だけ使ったのではないか」とみる。
また、霊山招魂社(現・京都霊山護国神社、東山区)には新見が祭神として、長州に下向したメンバーとともにまつられている。祭神名録には、万屋の借用証に名を連ね、芹沢とも交流のあった今泉与一太郎も含まれる。木戸孝允や槇村正直ら長州人を発起人とする京都養正社(維新志士の顕彰団体)が記した祭神名録であることから、新見の長州死亡説を支持する材料ともなっている。
■新見錦(1836〜63年) 水戸藩出身で剣術は神道無念流を学んだ。姓の読み方は「にいみ」「にいのみ」「しんみ」など複数伝わる。63年に清河八郎の浪士組に賛同して京都に入り、芹沢鴨や近藤勇らとともに新選組の前身・壬生浪士の局長や副長を務めた。酒や金に関する粗暴なふるまいが多かったとされる。
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